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京都ブランドに甘えてはならない

このところ、土日の雨天が続いた。だから久しぶりの自転車ツーリングになった。初夏を思わす紫外線たっぷりの強い日差しの中を走った。距離にして54km。私が所属している「Cycling Circle『連』」の会員6人で、鴨川を北進し、東に折れて京産大を通り岩倉へ。白川通りを南下し「銀閣寺」。「哲学の道」を抜け「熊野若王子神社」。最後は山県有朋の別荘「無鄰菴」。

その間、「岡崎」で昼食。駐車場には「店を利用されない方は駐車できません。違反者には即1万円をいただきます」という表示。またか。「大原」では「利用者以外はトイレ使用禁止」。「金閣寺」の無料休憩所で、ツーリングの待ち合わせをしていたら、隣の土産物店の女店主が退去勧告。「罰則」「禁止」「勧告」・・・京都の観光地の表示・指示の基本形はこれだ。たぶん店側は観光客のマナーの悪さに辟易しているのだろう。それもわかる。しかし、ルールを守っている一般客にどのような気持ちを与えるか想像したことがあるのだろうか。しかも、料理が高くてまずい。三拍子そろっている。「こんな店に二度と来るものか」京都に住む者も、ついそう思ってしまう。

京都市に訪れる観光客の人数は年間約5000万人。京都市民は約147万人。毎年、市民の実に34倍の観光客が訪れることになる。観光客でなく「観光市民」と言ってもいいぐらいだ。この「観光市民」に支えられて京都は成り立っている。観光を考えずに京都の将来はない。

新しい観光の在り方が求められている。以前から言われている「京都アーバンリゾート」。これは、単に神社・仏閣・名所だけを巡るだけでなく、繰り返し訪れたり長期滞在したりすることによって、

①日本文化の源流をもつ京都の文化伝統に触れ、歴史の厚みの中で自分を見つめる(京都市民自身が地元の歴史や文化について語れるだけの力をもつことが問われる)

②人と人の触れ合いを通して質の高い文化交流を進める(京都市民も「観光市民」から学ぶ)

③自己の人生を振り返り新たな自己を発見し、より創造的に生きるための機会をつくる(京都市民と「観光市民」の協働の取組・京都の新しい試みや挑戦などの紹介)

などを果たすことである。

そういった観点に立てば、世界の観光地である京都は他府県や外国の方々をやさしく迎えるハード・ソフト面の対応が求められる。京都らしい宿泊施設の完備、美しく個性的な街並み、親切な案内表示、自転車道の拡充など交通の在り方の抜本的な再検討と交通網の整備などは当然のことである。大きな課題は、多様で創造的な交流の場をどのように演出し提供するかである。

artcenter.jpg

先日、久しぶりに「京都芸術センター」(廃校「明倫小学校」の跡地・校舎を利用して2000年に開館された京都の芸術振興の拠点)を訪れた。京都で開催される初めての映像芸術祭が開催されていた。2会場で二人の映像作家の作品が上映されていた。普段の様子はわからない。午前10:30の鑑賞者は、なんと私一人だった。手に取った「センター通信『明倫art』」に「京都芸術センターで、あなたの展覧会企画を実現していませんか?」と書かれている記事を読み、ため息が出た。これは単なる私の思い込みに過ぎないかもしれないが、センターはすでに求心力を失い、失速状態にあるのではないか。内向きに閉塞していないだろうか。もしそうだとしたら、コンセプトをもう一度見直さなければならない。

2012年、京都市産業観光局観光部が公表した「『平成22年度 京都観光調査』及び『平成22年度京都観光総合調査』の結果について」の日本人観光客満足度調査、個別感動度において、

第一位は「自然・風景」 26・0%

第二位は「寺院・神社・名所・旧跡」 18・6%であるが、

「京都人のおもてなし」は 3・4%

「いやしや安らぎなどの精神的満足」は 2・9%

「食事の質」は 2・4%であった。


このデーターを真剣に受け止めるべきではないか。

数年前、滋賀県長浜市に何度か訪れたことがある。その時、街の方から見ず知らずの私に「おはようございます」という挨拶を何度もかけられた。そのことを思い出す。「私たちの街にようこそ来ていただきました」という歓迎の言葉であろう。街づくりに市民の方々が当事者意識をもたれている。素晴らしいことである。

今ある京都ブランド力に甘えてはならない。「観光市民」を恫喝するようなことはしてはならない。「祇園祭価格」、とんでもない。「京都をもう一度訪れたい」と心から願う人を増やすこと。そのために、観光は人と人の豊かな交流にもっとウエイトを置くべきだ。産学官民一体となって、京都の地域力を増し未来を探ろうではないか。そして「おもてなし」と「しつらい」を基調とする『京都の観光モデル』を世界に発信したいものである。

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「人生という作品」 三浦雅士 NTT出版 ②

第4章 美術と舞踊 「モダニズム再考にあたっての一視点」

三浦氏の論考は〈歩幅〉が広いと書いた。この「モダニズム再考にあたっての一視点」もスキップで駆け抜けるように展開する。この文章の理解を助けるためには、例えば「考える身体」NTT出版(1999年)の「『二十世紀芸術、舞踊へ』―変貌する芸術」を読むとよい。つながっている。もとより三浦氏の他の著書をすべて読破すれば、きっと理解がより深まるに違いない。しかし、それだけでは絶対おさまらない。

マルクス、モーツアルト、デュッシャン、ブレヒト、ケージ、ロスチャイルド、ラカン、フーコ、次々と人物(役者)が現れる。「芸術こそ資本主義の本質なのである」「近代絵画の展開は何よりもまず重商主義経済学から古典派経済学への移行と関連づけて考えなければならない」「人間は何よりも言葉によって、社会的文脈によって、騙されるのである」・・・・・断言がさわやかである。短い文章にこれだけ多くの人物とこういった言い切りがぎっしりと詰め込まれている。驚きである。

モダニズム再考の機運は何か。それは20世紀の芸術を振り返り、それを美術史の中に正統に位置づけるためではない。重要なことは、三浦氏は言う、キュレーターの眼が、近代の美術館を運営する自ら存在根拠をその根底から打ち砕くかもしれない理念をモダニズムに見出だしたからである。日本においては、東京国立文化財研究所主催のシンポジウムをまとめた「語る現在、語られる過去」平凡社(1999年)や日仏会館で3年間連続して行われたシンポジウムのまとめである「美術の行方、美術史の現在」平凡社(1999年),岩城見一編『芸術/葛藤の現場――近代日本芸術思想のコンテクスト』、シリーズ「近代日本の知」第4巻、晃洋書房(2002年)などがそれにあたるだろう。美術を制度化し美術という制度を支えてきたのは他でもない、美術史(ソフト)と美術館(ハード)である。それらはキュレーターの存在根拠でもある。

20世紀の芸術の特徴は、純粋性と始原性だとする。芸術はその根拠を求めようとして、理念的起源の探究が純粋に向い、歴史的探究が始原に向った。なぜなら、芸術の誕生と同時にその死に直面していたのである。したがって、芸術という概念が確立し芸術家が誕生したと同時に「芸術とは何か」と問い始めた。おびただしいイズムの交代劇が開始された。主流なるものへの抵抗や反問が繰り返され、勝ち残った新たな主流なるものが次の餌食になった。近代芸術の末裔である瀕死の現代芸術も、自閉した美術史の文脈でしか通用しない作品の数々を生み出しながら、多様で細分化したイズムの拡散の中で自滅した。そう三浦氏はとらえている。現代芸術はニューヨークで終わったと。ジャスパー・ジョーンズの星条旗が稚拙な筆さばきで描かれていることのアイロニーを受け止めるにはモダニズムの歴史を知らなければならない。ジャクソン・ポロックもしかりである。

それではなぜ、モダニズムはこういった運命をたどらなければならなかったのだろうか。「芸術は資本主義化することによってはじめて芸術になった」からである。芸術作品は極限の商品であり、貨幣であるからである。絵画が数百億円で売られても、何ら驚くに値しない。絵画は極限の貨幣だからである。村上隆「芸術起業論」幻冬舎(2006年)ならともかく、これまでの芸術家はそういったことに反発し、芸術家としての自己意識を創り上げてきたのではないか。社会から疎外され経済的に苦しい生活を強いられた悲劇のヒーロー・ヒロインが近代芸術家のモデルではなかったか。

1963年、美術家の赤瀬川原平「オブジェを持った無産者」現代思潮社(1970年)が起こした(?)模型千円札事件は、表現の自由の問題でもなければ、前衛芸術についての社会の無理解という問題でもない、ましてや貨幣という物神崇拝(幻想)を暴いたことですらない。ジャスパー・ジョーンズは星条旗を「模写」した。赤瀬川原平は千円札をそっくり「模造」した。それがよくなかった(的をついていた)。芸術こそが貨幣であり正しく資本主義の本質であることを作品で示したのである。

「モダニズムは、自身の存在基盤の危うさそのものを主題化することによって失地回復を試みたに等しい」それと同時にモダニズムの誕生とその正体が対象化されることによって見届けられたのはモダニズムの死である。

結びの言葉は「モダニズム再考もまた、絵画からはみ出し、美術館からはみ出した眼によってなされざるをえないだろう。美術史、また芸術史という文脈から離れた眼で、モダニズムを眺め返すこと。つまり、歴史という信仰から離れた眼で。」

最後にその実践者として荒川修作の芸術活動を評価して終わる。荒川修作の建造物は作品ではない。一つの仕掛けであり装置である。そのまどろっこしい語り口とは裏腹に意図することは鮮明である。人の諸感覚の統合を根底から揺すぶり解体すること。現代舞踊が概念化した身体の構文法を解体して始原に遡行しようとすることと同様に。これらは三浦氏にとって一対のものなのであろう。建築(反建築)のよって外側から、踊ることによって内側から。どちらも危険な試みに違いない。


「人生という作品」 三浦雅士 NTT出版 ①

人生という作品人生という作品
(2010/03/26)
三浦 雅士

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三浦氏は本書の「あとがきの」末尾に・・・10年前、『考える身体』の「あとがき」に「自分が死ぬということの意味さえ、ほんとうにはまったく分かっていない」と書いたが、今ようやく少し分かりかけてきたような気がする。・・・と述べている。

本書最終章の「死者たち」ではモーリス・ベジャール、ピナ・バウシュ、マース・カニングハム、マイケル・ジャクソンなどの優れた踊り手たちへ熱い思いとともに相次ぐ死を悼む文章が散りばめられている。

これらを含めて、本書全体に死の影が色濃く落ちている。人間にとっての生と死のパラドックス、その根源的な問い掛けが本書の基調である。

人は思春期、自らの世界に亀裂や断層があることに気がつく。「私はどうして私なのか・・・」。それは日常性の均衡や漠然とした全能感が瓦解する瞬間である。厳然たる自らの限定性の自覚である。この時代に生まれ、この国に住むという、かけがえのなさとはかなさとを伴った生の限定性と個の自覚である。それは同時に自らの死の序章を書き始めることに他ならない。今日、人は自らのたった一回きりの人生を物語として読み書きしている。書き記した作品は、死後も他者に読まれ、それのみならず自らも読むという前提のもとに。

したがって、三浦氏は「人は、死後、霊魂としてこの世を見守るかのように死んでゆく」のであり「人生を作品のように見なすことと、霊魂が不滅であるとみなすこととは表裏である」とする。さらに「人間にあっては、この世こそが、あの世なのである」と主張する。

本文に取り上げられているように、運動会でわが子の決定的瞬間をビデオで撮影することは、「いま」「ここに」しか存在しないという人間特有の一回性への信仰の強烈な表明である。人間にとって無垢で裸形の現実などありえない。現実を切り取り解釈し編集したものを人は「現実」としてとらえているに過ぎない。まるで死の世界から覗き込むように。したがって、太古から人は世界をまさに「写真」や「ビデオ」の眼で眺めてきたのである。

ここに大きな転倒がある。写真や映画の技術開発によって新たな認識や世界観が生まれたのではなく、写真や映画の眼が先にあって技術が後からついてきたと三浦氏は語る。

「身体の零度」「考える身体」そして「人生という作品」。三浦雅士の著書を読むのは3冊目である。三浦氏の論考はジャンルを超えた縦横無尽の広がりと鋭利な刃物で垂直に切り込む「問い」の深さで展開される。短文の積み重ねはリズミカルで歯切れがよい。しかも軽快なテンポで難解な言葉は少ない。しかし歩幅が広い。したがって、その行間を埋める言葉を読者に要求する。

常々、絵画・版画・装飾・写真・映画のルーツやかかわりなどを整理する必要があると考えてきた。写真と絵画については、「〈写真と絵画〉のアルケオロジー」伊藤俊治著(白水社)が参考になる。写真と絵画がどのように交錯しながら作家が作品を生み出したか、また美術史がそれによってどのように展開したかを解明しようとする試みである。しかし扱っているのは西洋ルネサンス以降の美術の歴史にすぎない。言語・身体・時間・空間・視覚など、本書のもつ根源的な人間の存在や認識の在り方を参考にして、美術史全体を見渡す視点を築き上げたいものである。

今回は、第1章、本のタイトルでもある「人生という作品」(書き下ろし文章)について一部紹介した。次回は第4章「美術と舞踊」について紹介してみたい。

三浦氏の現代舞踊についての関心(のめり込み)は相当なものである。私も「身体を介して宇宙と照応し共振する舞踊」の素晴らしさを味わいたい思い、情報を探った。3D映画「ピナ・バウシュ踊り続けるいのち」が見つかった。しかし時すでに遅し。見ようと思えば長崎や静岡まで行かなければならない。幸い「ピナ・バウシュ 夢の教室」はこれから。京都で見ることができる。

失策に気づくまでに10年 ・・・ 東京杉並区の学校選択制廃止

商品をデパートで買うのか、専門店で買うのか、スーパー買うのか。いい品をサービスの行き届いた店で購入するのは消費者の選択であり自由だ。学校も教育という商品を売るサービス業。子どもと保護者が学校を自由に選択することは当然の権利である。そのことによって学校間に競争原理が働き、より充実したサービスが得られるはずだ。これが出発点。

廃止の理由は、

・校舎の新しさなど教育内容と無縁な観点で選択される。
・事実に基づかない風評で希望者が集中したり激減したりする。
・地域と学校のつながりが希薄になる。
・いい学校であるかどうかの基準がはっきりしない。   など

杉並区は教育先進区を誇り、様々な改革(新しいこと)を進めてきた。その一つは民間校長の導入。民間の活力によって学校を活性化し蘇らせようとするねらい。裏を返せば、教職員不信と教員の専門性の軽視が前提になっている。目玉はマスコミ動員「和田中学校」。4年ほど前に、元校長の藤原和博氏「公教育の未来」Benesse(2005年)の講演を聴く機会があった。総合的な学習の時間としての「よのなか科」などは校長の独り芝居であるが価値ある実践。地域本部の設置はこれからの学校の姿である。しかし「夜スペ」はいただけない。やはり「民間」校長。学校の公共性という観点が抜け落ちている。聴衆である校長会のメンバーを見下ろすなまなざしと、その自信たっぷりの口調もいただけない。

PTA役員や校長らを対象にしたアンケートでは3分の2が学校選択制度の廃止または見直しを望んだという。

現場感覚をもち、これからの学校教育のあり方について真剣に考えている者は、このような乱暴なことはしないものだ。英国の失敗があり米国の失敗があった。教訓が全く生かされていない。始めから破綻することが見えている無謀な《実験》を絶対にしてはならない。その検証に10年の歳月をかけて。

我が家は発電所

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2002年1月から我が家の発電所は稼働を開始した。太陽光発電パネルは60枚、最大出力は8.7kW。設備費は約600万。そのうち約100万を新エネルギー財団からの補助金でまかなった。太陽光発電を導入による節電意識が電気代の節減になるという業者の説明を受けたが、節電意識の希薄な我が家の住民には期待するほどの効果はなかった。

太陽光発電は年間日照時間の長さが問題。意外な感じがするが、国内では山梨県甲府市がトップということらしい。京都はにわか雨や曇天が多いので極めて不利。気温は25℃が最適。屋根向きは当然南向き、その勾配は30°が理想的ということ。ちなみに我が家は34°、設計時から設置を考えていたので、屋根は全面的に「切り妻」にしていた。

開設当初の売電価格は26円53銭であった。それが2009年11月から48円になった。いい話だと思っていると、今後売電価格が段階的に減額されるらしい。原発の事故などから再生可能エネルギーの普及と言いながらまったく展望のない話だ。
プロフィール

ryoichi25r

Author:ryoichi25r

細谷 僚一 hosotani ryoichi
■ 大阪府箕面市生まれ(1948)
■ 京都教育大学教育専攻科美術工芸修了
■ 京都市立中学校教諭(美術科)16年
■ 京都市教育委員会学校指導課指導主事7年
■ 京都市立中学校教頭2年
■ 京都市教育委員会教職員課 人事主事5年
■ 京都市中学校校長5年(定年退職)
□ 大谷大学 教職支援センター教職アドバイザー4年(終)・非常勤講師3年(終)
□ 立命館大学 非常勤講師5年
□ 京都嵯峨芸術大学 教授3年
□ 京都女子大学 非常勤講師1年


履歴が示すように、専門は学校教育と美術科教育です。もともと好奇心旺盛なたちなので、様々なことに関心があります。学校教育にしても美術科教育にしても他のジャンルとのかかわりや歴史的観点から俯瞰的にみていくつもりです。

「美術科教育の未来」
2050年あたりに照準(大風呂敷)をあて、改善の姿を描こうと思っています。

「私の本棚」
読んだ本のまとめや感想をできるだけコンパクトにして整理したいと考えています。最も工夫したいことはそれぞれの本の関連づけです。

「気づ記・思いつ記」
日々の生活の中で気づいたことや思いついたことなどを日記のように表したいと思っています。


 

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