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ダンス映画を2本観た

ダンス映画を2本観た。『フラメンコ・フラメンコ』と『ピナ・バウシェ夢の教室』。

1本目は、1994年の映画「フラメンコ」の第二弾(ニュ―バージョン)。人の誕生から晩年、そして再生を多彩なフラメンコ楽曲と踊りで12幕構成。苦悩に満ちた表情で熱情をほとばしるように踊るダンサー、腹の底から絞り出すような太くしわがれた声の歌い手、まるで打楽器のように弦を烈しく打ち鳴らすギタリスト。手、脚、喉、身体はまさに楽器なのだ。衣装は身体の動きを増幅し空間全体を揺さぶる。逆光を主としたライティングが深い陰影と奥行きをつくり、より盛り上げている。フラメンコのパシオン(情熱・受苦)を堪能した。

フラメンコ・フラメンコ


フラメンコは、バルカン半島に住んでいたジプシーが15世紀ころスペイン南部アンダルシア地方に定着し、地元の音楽や舞踊と融合して生まれたとされている。

舞いの文化圏=農耕民(水田耕作民族)の文化圏
                 摺り足・ナンバ・腰を落とす・ゆっくりした動き
                 大地に水平性・2拍子・典型-「能」
踊りの文化圏=遊牧民(騎馬民族》の文化圏 
                 爪先立ち・跳ぶ・跳ねる・回る・素早い動き
                 大地に垂直性・3拍子・典型-「バレエ」
                                (「身体の零度」三浦雅士から)

この対照的な文化地図で、フラメンコはどう位置付けられるのであろうか。腰を落とし、脚は大地に鋭く突き立てるが、跳びはねない。動きは極めて激しい。回転運動が多用されている。2拍子と3拍子が混在している。

つまり、フラメンコは「舞い」と「踊り」のせめぎ合いと混淆の中で成り立っているのである。ジプシーのルーツをバルカン半島でなく、もっと東、ユーラシア大陸の中央であるインドに求める仮説が説得力をもつゆえんである。フラメンコは日本人の感性を確かに共振させる部分をもっている。映画を見ていて踊りの中に歌舞伎の見得切りや歌い手の発声法に読経や詩吟、演歌のこぶしなどを感じ取ったのは私だけではないだろう。日本が、本場スペインに次いでフラメンコ人口世界第2位であることは大いに頷ける話である。

2本目は、ダンス経験のない10代の青少年40人が、ピナ・バウシュの名作「コンタクトホープ」(男女の愛と欲望がテーマ)を公演舞台で踊るまでの10か月間を描いたドキュメンタリー映画。

若者たちのインタビューが所々に挟まれる。物おじし弱音を吐いていた若者たちが、しだいに自らを解き放ち自信をつけていく。普段着で登場する若者たち。仕草も日常的である。ダンスなのか演劇なのか。人が無意識に演じている日常をことさら演じることによって見えてくる世界がある。若者たちは演じ踊ることによって、自らを見つめ、自らの殻を破り、新たな自己の物語を語り始める。

映画の中でのピナ・バウシュの登場場面は少ない。直接的な指導はヴッパタール舞踊団で活躍したダンサー、ベネディクトとジョーの二人である。時折、稽古場に姿を見せる「統括コリオグラファー」であるピナ・バウシュの穏やかな物腰、その優しいまなざしが若者を勇気づけ、感動的な公演ステージにまで導いたのであろう。煙草を手にし、いかにも美味そうに吸っているピナ・バウシュの姿が印象に残った。

P1030125.jpg

いずれも京都シネマで観た。座席数61・89・104の3小劇場をもつ。スクリーンサイズは小さく1.5m×3.7m。場所は四条烏丸「COCON烏丸」3Fと、いたって便利。来場者の大半はシニアだと思われる。映画の待ち時間を過ごすための格好の場所は、同階のKARAS。京都精華大学直営のギャラリー・デザインショップである。見ていて飽きない。

映画館窓口で並んだ。「はい、シニア1名様」「はい、シニア2様」、私の番がきた。「・・・・・」
仕方なく私が「はい、シニア1名」(笑)。若く見られることを自慢しているのではない。

シニア料金(免除)とは一つの「解放」であり、同時に社会関係からのやさしい「追放」でもある。小浜逸郎が「死にたくもないが、生きたくもない」幻冬舎(2006)で「いつまでも若さの幻想にすがりついたり、『老人の生きる権利を」を声高に主張するばかりが、我ら老人候補生の生き方ではない。そこで、一定年齢以上になったら、次のようなことを心がけるべきである」とし、6点を挙げている。
① 周囲の人々が自分について言うことをよく聞く。
② 相手の反応を見ながら自分の年齢段階と肉体の状態、精神の状態とを絶えず推し量る。
③ 肉体と精神との無理なズレを引き起こさないようにする。
④ 自分のできることとできないこととをよく見きわめる。
⑤ 「年寄りの冷や水」「老いの木登り」をなるべく避ける。
⑥ 自分が周りからどう遇されているかについて自覚を怠らない。

シニア・クライシスをどう乗り越えるか。まだまだ修行が足りない。

話がずいぶんそれてしまった。


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プロフィール

ryoichi25r

Author:ryoichi25r

細谷 僚一 hosotani ryoichi
■ 大阪府箕面市生まれ(1948)
■ 京都教育大学教育専攻科美術工芸修了
■ 京都市立中学校教諭(美術科)16年
■ 京都市教育委員会学校指導課指導主事7年
■ 京都市立中学校教頭2年
■ 京都市教育委員会教職員課 人事主事5年
■ 京都市中学校校長5年(定年退職)
□ 大谷大学 教職支援センター教職アドバイザー4年(終)・非常勤講師3年(終)
□ 立命館大学 非常勤講師5年
□ 京都嵯峨芸術大学 教授3年
□ 京都女子大学 非常勤講師1年


履歴が示すように、専門は学校教育と美術科教育です。もともと好奇心旺盛なたちなので、様々なことに関心があります。学校教育にしても美術科教育にしても他のジャンルとのかかわりや歴史的観点から俯瞰的にみていくつもりです。

「美術科教育の未来」
2050年あたりに照準(大風呂敷)をあて、改善の姿を描こうと思っています。

「私の本棚」
読んだ本のまとめや感想をできるだけコンパクトにして整理したいと考えています。最も工夫したいことはそれぞれの本の関連づけです。

「気づ記・思いつ記」
日々の生活の中で気づいたことや思いついたことなどを日記のように表したいと思っています。


 

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