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「ロボット化する子どもたち」  渡部信一  大修館書店(2005)

ロボット化する子どもたち―「学び」の認知科学 (認知科学のフロンティア)ロボット化する子どもたち―「学び」の認知科学 (認知科学のフロンティア)
(2005/11)
渡部 信一

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この著書の全体構成は、
第1部 20世紀の「学び」探求を振り返る
第2部 21世紀の「学び」を方向づける
第3部 自閉症の「学び」から考える

からなっている。

本書のねらいは、21世紀のおける「学び」の探求である。そのための著者の視点と展開を特徴づけているものとして、一つは「子どもたちの現状」と「ロボット開発の行き詰まり」、「自閉症児の教育課題」の類似性の認識である。もう一つは、高度情報化時代に対応した、これからの「学び」を日本の伝統的な芸能や職人にみられる「わざ」に求める点である。

では、20世紀の「学び」とはどの様なものであったか。

「20世紀までの工業社会では、『世の中には必ず正しい知識あるいは正解というものが存在する』という考え方が正しいように思えた。そして『正しい知識を簡単なものから複雑なものへ、ひとつひとつ系統的に積み重ねていく』という教育が、社会にとって好都合だったと言えるかもしれない。」(渡部氏)

こういった学習についての常識はいかにして定着したのか。

その基になる学習理論が、1920年代から1950年代に隆盛を極めた、J・B・ワトソン(USA)が提唱し、B・F・スキナー(USA)が集大成した「行動主義心理学」である。これは特定の刺激と特定の反応が結びつくことによって学習が生じるという考え方である。つまり、客観的に観察可能な行動だけが科学としての心理学の研究対象であり、この行動原則はアメーバ―から人間までの生命体に適応できるのだという主張である。

B・F・スキナー(USA)が提唱した「プログラム学習」は、学習による目標行動達成にいたるまでに、単純なものから複雑なものまで、小刻みにステップを設定し、学習者の反応に対して即座にフィードバック(強化)する学習方式である。「つもり」や「はず」の教育から脱皮し、学習者が「~をできるようになる」という行動目標で表わされなければならないとした。教育工学として指導案はフローチャート採用されPlan/Do/Check(PDS・PDSA)サイクルの徹底が強調された。

1950年代から1970年代にかけては、U・ナイサーによって提唱され、D・A・ノーマンを中心として展開されたのは、情報処理の観点から認知活動を研究する「認知心理学」である。知識の貯蔵庫である個人の「頭の中」に新たな知的枠組み(スキーマ)がより増殖し拡がっていくことを学習の成立とした。

コンピュータと脳の研究が重なった。人間の頭の中で起こっていることをコンピュータでシュミレーションしようとする試みは、必然的にロボット研究に発展していく。しかし、アンドロイドを目指したロボット研究は大きな壁にぶつかる。いくら膨大なプログラミングをロボットに教え込ませても、複雑で偶発的な出来事が頻発する日常の中では、事態に対応できないということが分かった。ロボットには、人間に備わっている必要な情報を弁別し切り取る「フレーム」能力が決定的に欠けているのである。

渡部氏は、この「フレーム」能力の弱さは自閉症児もあることに気づく。「ロボットも自閉症児も事前に教えられたこと、あるいはプログラムされたことしか実行できない」(渡部氏)

さらに、現代の子供たち全体についても、頭の中に断片的な知識を蓄えるだけで、それらを活用されることなく、自分で判断し行動できない、いわば「ロボット化」していると指摘する。

それでは、21世紀の「学び」とは何か。

渡部氏は欧米の教育と日本古来の教育を対比しながら「教え込み型」教育から「しみ込み型」教育への転換が必要だとする。「教え込み型」教育の典型は近代学校教育であり、「しみ込み型」教育は日本伝統芸能の「わざ」の伝承に見られる、環境の組織化やモデルへの模倣による身体化(しみ込み)するスタイルである。

また、一方で「近代科学の知」から「臨床の知」(中村雄二郎)のパラダイム・シフトが歴史的必然とする。

いずれも状況的学習論であるJ・レイヴ、E・ウエンガーの「正統的周辺参加」につながる考え方である。

 できる(行動主義心理学)
 →わかる(認知心理学)
 →探究し実践する学び(社会的構成主義)

 学校での系統的な知識獲得から
 環境や状況との相互作用の中での学びへ

 「実験室」から「現場」へ 

 「脳」から「身体」へ


この著書は、本のタイトルやロボットと自閉症児を結びつけなどから、一見新しい理論展開を含むユニークな内容とみなされがちだと思われる。この著書の大きな特徴は、むしろ、今も学校教育を根強く支配している機械論的な「行動主義心理学」や「認知心理学」(個人的構成主義)の呪縛を解き払い、これからの「学び」の枠組みを築くために、今日的な教育研究の成果を横断的に見渡し、整理し集約しているところだろう。

「学び」の認知科学事典「学び」の認知科学事典
(2010/02)
不明

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私が、渡部信一氏の名前を初めて知ったのは「『学び』の認知科学事典」(佐伯胖監修・渡部信一編)を読んだことがきっかけである。これは、34人の研究者の「学び」についての様々な探索が大きな潮流のようになって読者を魅了する画期的な事典である。ようやく、言語学・哲学・教育学などがクロスしてきた。現在の「学び」研究を学際的に俯瞰する試みとして大変興味深い。
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スクーターを乗りかえた

私が最初に乗ったバイクは、ヤマハSRX。その後、ホンダのリードを3台乗り継ぎ、今度はホンダPCX。

ホンダPCX2


初乗りの印象は静か。これまで乗っていた「リード」は、古くなった2サイクルのエンジン音の大きさとともに車体全体から激しいビビリ音。やはり10年以上も乗ればこんなものだ。

「リード」と異なるところは、排気量が90ccから125ccにアップし、車体も少し大きくなりホイールベースが広くなった。前後14インチの大型ホイールにより走行バランスと安定感が増した。

スポーツバイクのような一体感はないが、楽な姿勢でゆったり乗れるポジション。最初から、アイドリングストップ・モードにした。これが実にいい。感動もの。完全停止してから約4秒でエンジンが止まる。発進しようと思えば、スロットルを少し開ければよい。瞬時にして再始動。タイムラグはゼロと言ってもいい。右折待ちのために交差点の中央で停止していても、心配無用。周囲の車両のエンジン音などの喧騒の中で、ひとり無音・無振動状態にいる。不思議な感覚である。燃費も特筆もの。2回目の給油でのチェックで、リッターあたり43.1Km。3回目の給油チェックでは45.3Km。

スタイリングのよさにも定評がある。確かにフロントやサイドビューは、なかなかのもの。カー・デザイナーやバイク・デザイナーはカタログの写真に斜め前方からどう撮るかで勝負をかけているのだろう。「PCX」はどうか。やはりバックはやや貧相でお粗末。四輪も二輪も後続車からじっくりと見られるのは、ほかでもない後ろ姿なのだが。

装置快楽の


「自動車=快楽の装置」―人間との〈幸福〉関係をめざして― 光文社(1984)の著者である佐藤潔人氏は、「後ろ姿の寂しさにクルマの象徴性がある」とし「彼方へ向かって走り去ってゆく姿の美しさ、消滅していく美学ということである」と述べる。・・・この著書の主題は、現代の消費社会の在り方と社会と道具との関係を検討するための媒体(メディア)としてのクルマ論である。テスト・ドライバーとして時速320kmオーバー走行の実績をもつ比較芸術学・比較文明論専攻の異色研究者。

この著書の「『タイムマシン』としてのクルマ」の章では「スピードがもたらす日常―非日常の劇的な転換は、人間が持つ『変身願望』をも癒してくれる。どんなスピードも、私たちの肉体を直接に変形したりしない。しかしその魔力は、時間や空間を自由自在に変形することによって、比喩として『肉体を変える』ことができるのである。それは、もっとも美的な変身ー『肉体の消費』にほかならない。人間はクルマという媒体(メディア)を意志のままにコントロールすることで、自分自身を変えたいという欲求を、間接的にであれ実現しているのである。」

この著書の刺激を受け、経済人類学の栗本慎一郎氏が「さあ、クルマで出かけよう」―ヒトの生命・身体を発見する旅へ― 光文社(1989)を著す。サン・テグジュペリ、メルロ・ポンティエ、ジャン・ボードリヤール、ロジェ・カイヨワ、栗本慎一郎の師匠マイケル・ポランニー、ライアル・ワトソン、廣松渉、外すことはできない市川浩、中村雄二郎など、クルマについての様々なコメントを挿みながら、「ヒトは生きるために、あるいは生きていることを確認するために、クルマで、バイクで、飛行機で、走り、空を飛ぶのだ。さあ、走り出せ!きみの生命・身体を発見する旅へ。オレも行くぜ。」と学者らしからぬ書きぶりで終えている。

どちらの著書も、当然ながら時代がかっている。図版など陳腐この上ない。しかし、移動・運搬の道具だけでもなく、ステータスなどを表す記号だけでもないクルマと人との本質的な関係に触れている点が大変面白い。

出かけよう

■クルマは、外気や騒音から遮断されたクルマの非現実的で抽象的な走行感覚。緩い緊張感の中で、クルマをコントロールする自分をもう一人の自分が静かに見つめている。私は、マニュアル・トランスミッション派。クルマを身体の延長として操作する悦びを追求する絶滅希少人間。
■オートバイクは複雑な交通状況に絶え間なくしかも素早く対応するため全身をコントロールし、自らの鼓動と共振する排気音を耳にしながら、粘りさえ感じられる厚い空気の層を突き破っていく。
■バイク(自転車)は、路面の凹凸や傾斜をよりダイレクトに全身で受け止め、自らがバイクの部品(エンジン)になることにより一体化し、風向きに翻弄されながら進んでいく。無風状態の走行で時速30kmを超えたあたりから聴力が次第に失われていく。ヒトは種として自力で30km以上走るようには造られていないことがわかる。

一輪車も乗ることができる。自分でもあきれるほど『クルマ』好きだ。
プロフィール

ryoichi25r

Author:ryoichi25r

細谷 僚一 hosotani ryoichi
■ 大阪府箕面市生まれ(1948)
■ 京都教育大学教育専攻科美術工芸修了
■ 京都市立中学校教諭(美術科)16年
■ 京都市教育委員会学校指導課指導主事7年
■ 京都市立中学校教頭2年
■ 京都市教育委員会教職員課 人事主事5年
■ 京都市中学校校長5年(定年退職)
□ 大谷大学 教職支援センター教職アドバイザー4年(終)・非常勤講師3年(終)
□ 立命館大学 非常勤講師5年
□ 京都嵯峨芸術大学 教授3年
□ 京都女子大学 非常勤講師1年


履歴が示すように、専門は学校教育と美術科教育です。もともと好奇心旺盛なたちなので、様々なことに関心があります。学校教育にしても美術科教育にしても他のジャンルとのかかわりや歴史的観点から俯瞰的にみていくつもりです。

「美術科教育の未来」
2050年あたりに照準(大風呂敷)をあて、改善の姿を描こうと思っています。

「私の本棚」
読んだ本のまとめや感想をできるだけコンパクトにして整理したいと考えています。最も工夫したいことはそれぞれの本の関連づけです。

「気づ記・思いつ記」
日々の生活の中で気づいたことや思いついたことなどを日記のように表したいと思っています。


 

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