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校種間の接続は「なめらか」だけでよいのか

1月13日(月)の朝日新聞「私の視点」に長野県生坂村立生坂中学校教諭の徳嵩廣治氏の文章が載っていた。

テーマは「4・4・4制『乗り越える力』育つのか」である。内容は、21世紀の日本にふさわしい教育体制を構築し、教育の再生を強力に進めていくとして、安倍政権が設置した「教育再生実行会議」への違和感についてである。

「再生」とは死んでいるものを甦らせることである。「今の学校教育は死んでいるあるいは死にかけている」という認識が出発点にある。したがって、抜本的な改革、早急な手当てが必要になる。例によって「海外では・・・」と周囲を見渡し、これまで積み上げてきた日本の教育の成果やよき伝統など、ほとんど顧みることもなく、接ぎ木のように新たな制度を矢継ぎ早に導入(実行)しようとする。

徳嵩氏の違和感の一つはそのようなむやみに制度を変えようとするトップダウンの改革についてであり、もう一つは、その会議における5番目の検討課題である「6・3・3・4制」の見直しの中で語られている「なめらかな接続」という言葉についてである。

例えば「中1ギャップ」をどのように解決すればよいか。小学校とは異なり中学校は教科担任制。学校規模が拡大し、進路指導のウエイトが大きくなる。そして小学校教師文化と中学校教師文化は思いのほか大きな開きがあることも確かである。だから、段差を解消するために小中一貫校を増やせばよい。答えは簡単なように思われる。

実は、私もそう考えていた。かつて教育委員会の中に統合推進室が新たに設置され、小学校の統廃合に着手されていた。統廃合は大事業である。そのような中で「いずれ、中学校の統廃合の時期を迎える。そうであれば、小学校同士の統廃合、中学校同士の統廃合という枠を外し、義務教育9年間を接続する小中一貫校の統合を視野に入れるべきではないか」と室長に「進言?」したことを覚えている。45歳頃のことである。当時、教育センターにはボトムアップをよしとする風土があった。それにしても生意気な発言である。

徳嵩氏は自らの経験から、小中にまたがる段差を解消したり低減したりするのではなく、むしろ乗り越える力をつけるべきだと主張する。現状の制度を維持しながらも、中学生には上級学校生としての自覚を促し、小学生には中学生へのあこがれや将来に向けての展望を与えることが様々な取組や工夫によって可能だとする。

私は、「乗り越える力」をつけるとともに、この段差を子供が自分自身を変える機会にもすべきだと思う。いわゆる「イニシエーション」(人生の節目)である。非連続による飛躍のステージを準備することである。中学校の校区に小学校が一校は珍しく、ほとんどが複数校から中学校に進学してくる。小学校から中学校へ向かう中で、他者から自己に向けられた固定したまなざしをほぐし、他の小学校から進学する生徒と交わる中で人間関係を再構築しながら、新たな自己と自己像を創る機会にする。

学制を変えるとすれば「なめらかな接続」だけが基調になるのではなく、連続性と非連続性、着実な歩みと思い切った飛躍、その両立を図らなければならない。

小中一貫校、小中一貫教育の流れは今後も続くであろう。当然メリットはある。しかし、制度を変えることによって、失うものや新たな課題が生み出されることも認めなければならない。

教育再生実行会議の議事録を読むと、制度改革がすべてではないという意見も出されている。もしそうなら何が大切なことか。教育現場感覚にもとづく内側からの改革であり、教員が主体的に動ける条件づくりである。多くの教員が児童生徒のために日々心血を注ぎ悪戦苦闘している姿にもっと目を向けてもらいたい。教育現場は度重なるトップダウンの改革で確かに疲弊している。しかし、決して死んではいないし、死にかけてもいない。
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きょう、バッタが死んだ

きょう、バッタが死んだ。

11月末に孫と庭の掃除をしていた。その時、孫が落ち葉の下でうずくまっているバッタを見つけた。驚いた。子供は発見の名人である。地と図の関係でいえば、「地」として大人が通り過ぎてしまうところに「図」を発掘する。バッタは、こんな風にして越冬するか。早速、孫と図鑑を開けた。バッタの正式名称が「ツチイナゴ」であることがわかったが、越冬についての記載はない。

きっと、この状態で春を迎えるのだろう。だか、雪が降るほど寒い日でも,もちこたえられるのだろうか。その心配と見とどけたいとの思いで「飼う」ことにした。二度目の春夏で、きっと巨大化するだろう。孫と言葉を交わし楽しみにした。落ち葉を詰めたケースにツチイナゴを入れた。ケースをエアーマットに包み、アトリエに置いた。アトリエにはスズムシの卵とサワガニがすでに越冬している。

このままでそっとしておけばよかった。外の極端な寒さを防ぎ、暖房しない部屋。これでよかったのだ。

観察すると時々動いている。書斎に入れてみた。暖かいのでよく動く。庭のブロッコリーの葉を入れると少し食べている。エサを入れるときにケースから飛び出すこともある。元気だ。不潔だという家族の反対を押し切り、今度はリビングの棚にケースを置いた。もっと元気になった。

身勝手なお節介がツチイナゴを滅ぼした。本当に辛かっただろう。暖かくすればひとりでに活動が始まる。それに激しい寒暖の差。消耗しエネルギーを枯渇させた。春を迎えさせることができなかった。

きょう、バッタが死んだ。

研究大会の指導助言はくるたのしい

「第64回 造形表現・図画工作・美術教育研究全国大会・山口大会2013」の指導助言担当者になった。この全国大会において、これまで何度か助言役などを担当させていただいている。今回は3年ぶりになる。前回は2010年度京都大会で京都市立向島東中学校の山田由美子先生の「テストと評価」分科会で小野市立小野中学校の高瀬城作先生とともに担当した。その前は、2008年度大阪大会での「美術教育実践交流会」において大阪市立本庄中学校の高見博先生・同市高津中学校の松山明先生・同市指導主事の石川文子先生とともにパネリスト役をさせていただいた。さらに、さかのぼれば2007年度熊本大会で「Webこども美術館」管理人の西尾隆一先生の「鑑賞指導」授業後の研究協議で視学官であった遠藤友麗先生とともに担当させていただいた。

3回分を古い順に並べ、助言者として記録をもとに私の述べたことを紹介してみたい。

■ 2007年度「Webこども美術館」
(1) 「Webこども美術館」の時代を先取した取組を評価するとともに、異文化理解や国際交流などインターネット活用による美術科教育開拓者として今後の活躍を期待したい。
(2) 「Webこども美術館」の可能性と限界性について
《その可能性》
① デジタル化による劣化のないデータ情報として、いつでもどこでも再現でき、他者との交換可能な鑑賞教材として活用できる。
② 瞬時に作品を選択したり並べ替えたりすることによって比較鑑賞などが容易にできる。
③ 簡単にズームイン・アップができ、作品をそれぞれの部分から全体へ、全体から部分へと繰り返し表示でき、より効果的な鑑賞指導を進めることができる。
④ 色彩や構図など自在に変えることができ、鑑賞を深めることが可能になる。
⑤ メディアアートなどに最初からWeb上に創作される画像の出現によって、新しい視覚世界を拓くことができる。
《その限界性》
① 美術館は原作(実物)の展示。「Web美術館」はオリジナルではない。「美術館」という名称はレトリック。特徴を捉えあえて言えば「デジタル画集」。その再現性にはおのずと限界がある。今日の技術水準では本格的な鑑賞指導には向いていない。
② 生徒作品が羅列されているだけでは、作品のねらいや指導過程が見えてこない。鑑賞における「作品主義」に陥りがちである。これを今後どのようにカバーしていくかが課題になる。・・・・・・・など、授業の感想や評価とともに述べたように思う。6年前はひと昔。大きくずれている点も多いだろう。
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■ 2008年度「美術教育実践交流会
(1) 大阪市の研究会が継続して美術教育の課題と実践についての現況調査をされていることの意義について述べる。
(2) これからの美術科教育についての私なりの提言を行う。
① 学習指導要領「美術」に「美術文化」という文言が加えられたことによって、これまで以上に美術の活動が文化的・社会的・歴史的な文脈とその広がりをもち、普通の人が普通に生活する中に美術文化としての活動があることを確認されたこと。
② 芸術教科として音楽科と一対もしくは対比の関係のだけで捉えるではなく、非言語の認識・思考・判断・表現・コミュニケーション活動として国語科との相補的関係をもつことを意識化し、新しい教科性を追究すべきだということ。
③ 学びの協働性の追究と時代に対応した今日的な教材開発を進めることが重要であるということ。・・・・などについて具体的な例を示しながら説明したように思う。

■ 2010年度「テストと評価」分科会

全国大会の分科会として「美術科テスト」を取り上げることは、これまでなかった内容ではないだろうか。

(1)京都市の「研究会テスト」について
京都市の研究会では、教育委員会と協力して「研究会テスト」を行ってきた。当初は、公立高等学校入試が9教科時代に対応して3学年3学期に総括テストとして実施してきた。入試科目が5教科になった後も、京都スタンダードとして美術科の教育水準を確保し、軽視されがちな鑑賞指導の充実を目指して取り組んできた。

その後、実施率が6割(全市)になった。この低下の理由は各学校の経費負担の問題のほかに、今日の学力観になじまない4肢選択マークシートへの批判もあったように思われる。この実態を踏まえ2008年度、これまでの「研究会テスト」を廃止し、かわって各学校で実施されているテスト問題の収集と精選、さらに新入生テストを含む新しい問題の作成に取り組んだ。「活用型」あるいは「読解力」の視点で、語句挿入式や記述式、実技題など多様な出題形式と解答内容を目指すことになる。この膨大なデータベースの中から生徒の学力実態や課題に応じて実施するテスト問題を各校で選択する(もちろん各校でテストづくりのしながら)方式を導入した。

(2)定期テストについて
学校ごとに行われる定期テストの扱いは実に多様である。実施率は都道府県・都市によって異なる。時間設定も30分から50分とまちまちである。また、学校によって教員によって方針や回数も異なる。観点別学習状況の評価項目に美術科は「知識・理解」がないが、定期テスト(実施率は予想以上に高い)は知識・理解を問う出題が中心である。小学校図画工作科ではテストはしない。中学校美術科において積極的なテスト推進派もあるが不要論も根強い。

いわば中学校の美術科テストについては、矛盾を孕んだ未開拓の領域である。

文部科学省後援の「色彩検定」の「あなたの色彩活用能力を証明します。」という案内では、

「従来から「感性」だけによるものと見られがちであった『色に関する知識や技能』を理論的、系統的に学ぶことにより、誰もが『理論に裏付けられた色彩の実践的活用能力』を身につけることができるのです。(中略)また、色に関する学習は学校教育ではほとんど触れられることがありません。それが逆に『年齢、性別、学歴などに関係なく誰でも気軽に取り組める』『日常生活のちょっとした場面で活かす事ができ、楽しく学ぶことができる』といった評価につながり、生涯教育として受け入れられている理由でもあるようです。」

と書かれている。

一体、美術科教育において色彩も含めて「知識・理解」の学習内容はないのか。そういった学習内容は学校教育で触れることは必要がないのだろうか。

平成元年の学習指導要領改訂後の要録改訂で新たに観点別学習状況の評価規準が打ち出された。京都市では研究的な姿勢でこれを受け止め、全市指導計画に別枠で「用語・知識・理解」を設定するなどの工夫を試みた。

さらに今回の改訂で「共通事項」が書き加えられた。これを新しい教育課題として加えられたと受け止めるよりも表現と鑑賞の表裏一体性についての整理と考えるのが妥当であろう。もしそうであれば、表現に主軸を置いた現在の観点別学習状況の評価規準は是正されるべきである。つまり、観点別学習状況の評価においても表現と鑑賞とにまたがった規準がつくられてしかるべきである。この答えはそれほどむずかしくない。評価規準を変えようとすれば、中学校教育の音楽科や小学校教育の図画工作科との整合性も図らなければならない。いったんつくられたものを変更することの困難さは理解できる。しかし、歴史を一歩進めようではないか。

(3)PISA型読解力について
この読解力の定義は「自らの目標を達成し、自らの知識と可能性を発達させ、効果的に社会に参加するために、書かれたテキストを理解し、利用し、熟考する能力」である。現行の学習指導要領は、このPISA型読解力から色濃く影響を受けている。

・テキストを理解し評価しながら「読む力」→  美術科においては「鑑賞する力」
・テキストに基づいて自分の考えを「書く力」→ 美術科においては「表現する力」

新しい学習指導要領では「言語活動の重視」が教科横断的なものとして打ち出されている。美術編では「自分の思いを語り合ったり、自分の価値意識をもって批評しあったりするなど、鑑賞の指導を重視する」として、この「言語活動の重視」は鑑賞指導を中心に位置づけられている。

しかし、もともとPISA型読解力でいう「テキスト」とは幅広いメディアを指している。

・連続型テキスト・・・文と段落から構成され、物語、解説、記述、議論・説得、指示の文章または記録などに分類できる。
・非連続型テキスト・・データを視覚的に表現した図・グラフ、表・マトリクス、技術的な説明などの図、地図、書式などに分類できる。これにピクトグラム、ダイアグラム、ロジックツリー、スケッチや写真なども加えてもよいであろう。

この非連続型テキストは中央教育審議会でどのようとらえ、どのように扱おうとされたのであろうか。非連続型テキストとは、ビジュアルリテラシーであり、正しく美術科が担う学力である。美術科が教科横断的な特性をもつことを自ら認識し明確にその教育的価値を示すべきではないか。

(4)新しい美術科テストとは
例1 開催各都市でデザインの統一されたオリンピック競技の表示(ピクトグラム)やデザイン統一されたブランド食器の一覧の空白に適切な図版を選択し挿入問題する問題。・・・・絵の思考・デザインの思考
例2 配色カードを持たせているという前提、ある色で描かれた文字を、遠くから識別できるようにするためには、「地」の色を選択させる問題。
例3 同一内容のポスター2点を比較させ、レイアウト・書体の違いによる表現意図や表現効果について問う問題。
例4 バラバラにした漫画のコマを並べ替え、一つの作品にする問題。
例5 和菓子の写真を季節別に分ける問題。
例6 作家の絵画と彫刻を結びつける問題。
例7 説明文を説明図にする問題。・・・・・・・・など、いくらでもつくれそうである。

この分科会には文科省の村上尚徳調査官(前調査官)も参加されていた。教科の課題を正視される真摯な姿には、いつもながら感心する。分科会担当者にとって、光栄なことである。その協議の中で調査官に質問が一つあったことを覚えている。「テストで測った知識・理解の成績は、観点別学習状況の評価のどこに位置づけるのが適切か」という問いに「4観点それぞれに別けて位置づけるとよい」との返答であったように記憶している。私が仮に調査官であっても、現状のなかでは、そう答えるしかないであろう。

PISAの問題には、それをヒントにして美術科テストに置き直すことのできる問題が数多くあるように思える。学力のグローバリズムに警戒しつつも、知識・理解も含む今日的な美術科テストづくりには、この読解力の在り方を注視し大いに参考にすべきではないだろうか。

■ 2013年度「四季山水図を旅してみよう」

いよいよ、本題である。(上記3大会については簡単な記述で終わろうとしたが、書き始めるとなかなか止まらない)

11月15日(金)の午前、周南市立岐陽中学校で水井喜美子先生の公開授業「雪舟作、四季山水図を旅してみよう」を参観したのち、午後から他の公開授業、研究発表を含む研究協議があった。それについての私なりの記録である。

● 授業の概要
1 山水長巻の見どころを探る。
2 見どころを決めるポイントを確認する。
3 各班のメンバーで話し合い見どころを特定する。
4 フレームを使い、見どころを選んだ根拠を示しながら班ごとに発表する。
5 発表を受けて、新たに発見したことや感じたことをまとめる。

● 研究協議会の内容
1 研究授業「四季山水図を旅してみよう」 雪 舟
2 研究授業「新たな表現を求めて」    狩野芳崖
3 研究発表「日本の四季・日本の心の教材化」

(1) 中学校の鑑賞の研究授業及び発表は、日本美術の鑑賞に的を絞り込んで深められている。全国的な研究大会は外への発表に力点が置かれがちだが、研究会員が課題を共有し大会開催の機会を通して研究を深め互いに高まり合おうとされていることに敬意を表したい。
(2) 私が授業参観させていただいた周南市立岐陽中学校の水井喜美子先生の授業では、毛利博物館の協力により、原寸大の再現性優れたレプリカ(山水長巻)を教材にされていた。大変な努力の結果だといえる。
(3) 作品の取り上げについて
① 日本文化(美術)の特質は、外から文化を移入し、それを咀嚼・熟成して日本的なものに置き換えてきたことにある。古くは中国、明治以降は西洋、太平洋戦争以降はアメリカから多大な影響を受けてきた。そのプロセスを体現している人物として雪舟と狩野芳崖を取り上げられている。
② 雪舟も狩野芳崖もこの山口県にゆかりのある画家である。身近な存在であり地域の誇りでもある。生徒のアイデンティティ形成にもかかわる点もしっかりと踏まえている。

(4) 鑑賞方法について
① 自作フレームの活用によって、作品を漠然と見ることからより深く鑑賞する学習のプロセスを導き出している。
② このフレームは絵巻に限らず、大作にも適応可能である。今回のフレームは絵巻のサイズ(実際の縦39.8cmより短い)に合っていなかった。改善の余地がある。
③ 指導者は極力ファシリテータ役に努め、学習者主体である生徒の自立的な鑑賞学習を目指されている。
④ 会場からの意見にもあったように、生徒個人の見方や感じ方と班での意思統一の両立について、さらに検討する必要がある。班員4名が同じ部分を見どころとして選択することは考えにくい。意見がまとまるとすれば、発言力のある生徒に他の生徒が追随することによって見どころが決定されるのではないか。むしろ、長巻をあらかじめ細分化しておき、同じ部分を選択した生徒同士が班を形成する試みもあってもよい。当然、班を構成する人数は大幅に異なってくる。「はじめに班ありき」になっていないか。これまで美術科教育はどちらかと言えば、個人を中心に展開してきた。協働的な学びが進めようとされる中で、個と集団の学習をどのように組み合わせ展開するかが、これからの大きな研究課題である。

(5) 鑑賞指導で大切なことについて  
① 表現とのかかわりはもちろん、他教科や道徳、総合的な学習の時間などとのかかわりを大切にしながら、生徒がすでにもっている意味と価値の体系を鑑賞学習を通してより豊かなものにしていくことが求められている。
② 季節感そのものが主題になる日本文化の自然感・世界観を十分に生徒に伝えたい。指導案で取り上げられている「気韻生動」や「深山幽谷」などのキーワードの理解も必要であろう。明治以降「南画」が排斥された。それは西洋の視点や西洋画の在り方からは必然的なことである。しかし、日本美術を日本文化の観点でとらえる様子が変わってくる。研究発表でも形式にこだわりたいという発言があった。内容と形式の関係の極めて密接な日本美術は、強いて言えばすべて工芸(調度)である。

(6) 鑑賞指導で養いたいことは健全な批評眼である。これは美術科教育に限らず日本の教育にとっても大きな課題である。先入観や権威主義で語り始めることは避けたい。「画聖」「国宝」など前面に出ることなく生徒を作品に直接的に向き合わせるべきであろう。雪舟の研究者である明治学院大学の山下裕二氏は「雪舟はイチロー型ではなく、明かに新庄型だ」とし、神格化されすぎた雪舟を身近な存在としてとらえ直す。雪舟の水墨画には強引さや破たんもしばしば見られる。それが雪舟のよさでもあるが、生徒のワークシートに「私であればこの部分をこのように描きたい」という項目を付け加えてもよいのではないだろうか。

いつも感じていることであるが「指導助言」はむずかしい。また「指導助言者」に替わる適切な言葉はないだろうかと、かねがね思っている。何のかかわりもない人物が突然会場に現れて、いかにもすべてがわかっているかのように、協議会の最後にまとめと評価を行う。言い方を変えれば「言い逃げ」である。辛口の評価を聞くことも、話すことも後味の悪いものであろう。だが、折角の機会を与えられたからには、一つの意見としてはっきりと自らの考えを述べなければならないと、妙な責任感をもってしまう。

本来の在り方は共同研究者であろう。大会までの積み上げの中で研究を見守り、意見を述べたり資料を提供したりするなど様々な関わりを通して、当事者の研究のプロセスや成果を側面から明らかにすることではないだろうか。2010年度の京都大会ではそれができた。今回の大会でも指導計画をあらかじめいただいていた。それをもとに当日臨んだ。

用意した数々のコメントは研究発表や協議の中で、見事につぶされていく。頭の中でシナリオの書き直しを繰り返す中で、いざ本番を迎えるわけである。考えながら話す。話しながら考える。一言でいえば「指導助言」は即興劇。「くるたのしい」(遠藤周作)。


プロフィール

ryoichi25r

Author:ryoichi25r

細谷 僚一 hosotani ryoichi
■ 大阪府箕面市生まれ(1948)
■ 京都教育大学教育専攻科美術工芸修了
■ 京都市立中学校教諭(美術科)16年
■ 京都市教育委員会学校指導課指導主事7年
■ 京都市立中学校教頭2年
■ 京都市教育委員会教職員課 人事主事5年
■ 京都市中学校校長5年(定年退職)
□ 大谷大学 教職支援センター教職アドバイザー4年(終)・非常勤講師3年(終)
□ 立命館大学 非常勤講師5年
□ 京都嵯峨芸術大学 教授3年
□ 京都女子大学 非常勤講師1年


履歴が示すように、専門は学校教育と美術科教育です。もともと好奇心旺盛なたちなので、様々なことに関心があります。学校教育にしても美術科教育にしても他のジャンルとのかかわりや歴史的観点から俯瞰的にみていくつもりです。

「美術科教育の未来」
2050年あたりに照準(大風呂敷)をあて、改善の姿を描こうと思っています。

「私の本棚」
読んだ本のまとめや感想をできるだけコンパクトにして整理したいと考えています。最も工夫したいことはそれぞれの本の関連づけです。

「気づ記・思いつ記」
日々の生活の中で気づいたことや思いついたことなどを日記のように表したいと思っています。


 

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