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EDU・LABO教育イノベーション開発研究所の研修会

11月5日(水)はEDU・LABO教育イノベーション開発研究所の研修会に参加した。EDU・LABOとは、「イノベーション」という言葉が示すように、新たな発想や考え方に基づき、抜本的にこれからの教育のあり方を追究し具体的な改善策を提案(場合によっては実践)する特定非営利活動法人である。事務局及び研修会場を(元)京都市立生祥小学校にもつ。私は理事として参画している。

6月から研修会を開始し、第6回目になる。今回は日本教育新聞の記者である高橋巨樹氏の講演である。

演題は「記者から見た教育界の課題」。

高橋氏の信条は、
① 誰に対しても、公平・公正であれ。
② 記者は無名であればあるほどよい。影にすぎない。
居丈高なジャーナリストに辟易することがよくある。しかし、高橋氏はまったく違うタイプ。人の意見に耳を傾け誠意をもって受け止めようとされている。語られる一つ一つの言葉にもこの信条が込められている。

1年間に80校ほど訪問取材。16年間の勤務で全国の学校を約1300校まわられたことになる。世間一般の学校不信・教師不信の風潮の中、ご自身も小中高の教師から100回以上の体罰という教師暴力を受け、同じ思いを募らせておられた。ところが、取材を重ねる中で素晴らしい教職員との出会いや優れた教育実践を目の当たりにして、基本的に学校や教職員を応援する立場をとられるようになった。

「私の1週間」という資料には、記者としての日々の取材の様子や内容が記されていた。全国的な視野でどこに焦点を当て、何をどのように取材するか。アポイントをとりながらスケジュールをどのように組み立てるか。大変なご苦労をされていることがわかる。

次に、高橋記者ご自身が取材し記事にされた自社の新聞等のコピーをもとに、校長のリーダーシップが発揮されて成果が上がった幾つかの特色ある取組の紹介があった。いつも窮地の追い込まれているという感覚をもち続けている我々にとって、こういう事例を示していただくと、少し安心し同時に元気が出てくる。

最後には、教育界で条件整備が一向に進まない中、どのように解決すればよいかについて二つの提案があった。

① 教育界の味方を増やすこと。

大切なことは教職員の日々の献身的な努力を広く発信し多くの人々に理解を求めることである。各学校が保護者・地域に対して、文部科学省も財務省を含む各省庁への交渉力を高めながら全国民に対して、もっと丁寧にわかりやすく説得力のあるものに。また報道機関も文部科学省の施策や学校のもつ課題や実践についての正しい理解のもと、ネガティブな面だけに目を向けるだけでなく、新たな展望を拓くような記事を読者に伝えることも必要である。

資料の中に「学級経営の達人の技術は民間企業に『輸出』できる」というくだりがあった。学校社会の閉鎖性や教職員の世間知らずなどの批判から、民間管理職の登用など以前から進められているが、逆に集団の相乗的な働きを活かす優れた学校(教師)の実践は、「人が学び育つ」という観点に立てば当然民間企業にも生かせるはずである。

② 教育界への不信感が生じる構造的な問題を分析すること。

各学校の生徒指導にみられる児童生徒の短所をことさら指摘したり教師の一方的な考え方を押しつけたりすること、さらには体罰という暴力の行使は、不信感を増大することがあっても信頼関係を築くことはない。

高橋記者は「生徒指導」を一般的にとらえられている狭い意味での生徒指導観に基づいて述べられているが、児童生徒が学校に自らの居場所があり安心して学校に通える学校づくりや児童生徒の可能性を信じ愛情をもってかかわることの大切さは、いくら強調してもしすぎることはない。

不信感が生じる構造的な面という意味では、政治の在り方も大きくかかわっている。

「教育改革という名前なのだけど、要するに教育改革ではなく、教育の政治利用なんです。真っ当な議論をするのがバカバカしいくらい、教育ではないのです。それから、教育のスケープゴート化があります。すべての責任を教育になすりつけることによって他の問題を全部隠ぺいしてします。この2つがセットになって進んでいるとことが怖ろしいところです。」(現代思想2014年4月 討論「教育再生」の再生のために)
「教育再生会議」以降の教育行政の現状を、文科省(官僚)と中教審の歯止め機能が崩壊し政治主導(財界主導)の暴走ととらえる佐藤学氏はこう述べる。

不信感を増幅し危機感を煽ることによって、教育改革という名のもとに現場感覚から大きく乖離した制度変更(教育破壊)を矢継ぎ早に「実行」する手法は、自己利益のためのサービスを学校教育に求める一般大衆の意識を上手く絡めとる。結果として、学校の権威は失墜し、教職員に払われる敬意は著しく損なわれる。

「教職員を尊重できない国は、国力が下がり、やがて衰退する」(高橋記者)

確かに教職員の待遇や社会的立場の低下、それによる教職員のなり手不足と質の低下が進行している。人は信頼感を覚え敬意をもつ人物からしか真に学べない。鉄則である。

学校が半ば「ブラック企業」化し、教職員が過酷な勤務を強いられている現状は厳しい。しかし、被害者意識を募らせるだけで終わってはならない。高橋記者が取り上げてこられた事例のような、苦しい中であっても児童生徒・保護者や地域の方々との信頼関係をつくりあげる地道な実践の積み上げが求められている。

財務省が小学校を全国的に標準的な規模に統合して教員18,000人を減らし、小学校1年生の定員を40人に戻すことによって教員4,000人を減らすという教育予算の削減策を打ち出してきた。

もうこれ以上「政治の言葉」や「経済の言葉」で教育を語ることはやめようではないか。教育は「国家百年の計」。繰り返すが未来への投資。公共性を基盤とし共同体存続を担う使命をもつ。学校教育は格差社会の是正や持続可能な社会の実現などにも大いにかかわる大事業。併せて疲弊している地域の活性化を図る重要な文化拠点でもある。

高橋巨樹記者は現在40歳。教育に造詣深く、高い見識をもつジャーナリストとして今後のご活躍を大いに期待したい。またお話をお聴きする機会を楽しみにしている。

今回は福井県からお二人の中学校校長の参加があった。懇親会も含めて短時間ではあるが様々な情報交換ができた。これも大きな収穫であった。

好機到来! 30人学級実現へ

9月14日(日)の朝日新聞朝刊の第一面のトップ記事は、

「教員採用 冬の気配」
「21年度から急減予測」
「大学、養成計画見直し必至」

とある。「人口減にっぽん」シリーズの1コマだが、何を今更と感じながら読んだ。

教員の採用枠は、①児童生徒数・②退職教員数・③学級定員・④再任用教員数によって基本的に決められる。教員の採用枠増減のうねりは、周知のように大戦後の第一次ベビーブームがことの発端である。採用枠の増減に伴って教員の世代構成がいびつになることは、教育上好ましくない。現在、学校では教員の退職ラッシュとともに新規採用教員が増えてきている。それによって、いわゆる中堅教員が圧倒的に不足するという厳しい実態がある。

激しい世代交代の中、なめらかな次第送りが果たせるだろうか。管理職なり手不足(管理職になりたくない教員の増加も手伝っている)が解消できるだろうか。若年の管理職が誕生せざるをえないことも大きな課題である。

2000年あたりが教員採用人数の落ち込みの底であった。自治体によっては、中学校教員採用選考試験が行われない教科もあった。長期展望のなさ。無策であり失策である。この時期にこそ、学年進行で学級定員を縮小し、あえて教員を採用し、教員の世代構成をフラットにすべきであった。日本のGDP比の公教育支出がOECD諸国の中で最下位レベルである。先進国の中でいまだに40人学級(基準)を続けている。財政難もあるだろう。しかし、教育は未来への投資。この国の将来をどのように考えるのか。

2度目のチャンスがやってきた。今から採用人数の下降期にあたる2021年度以降の学級定員改善に向けて当然動き出すべきである。

現状に追随し、その影響を述べるだけで何の主張もない。答えが明らかなのに、何をすべきかを提案しようともしない。そのような記事を第1面のトップに掲載するとは。

私が記者ならこう書く。 「好機到来! 30人学級実現へ。」

IDE大学セミナー 大学のオープン化 -黒船かノアの方舟か-

8月22日(金)はIDE(Institute for Development of Higher Education)大学協会・近畿支部主催のセミナーに参加した。今回の会場も京都大学百周年時計記念館である。

1部は話題提供(ミニ講演)
2部は話題提供者がパネリストになっての全体討論
3部は懇親会  である。


ほとんど面識のない方の集まり(実際、知人は皆無であった)だと思い懇親会は不参加で申し込んでいた。



全体討議の様子


1部の「大学のオープン化」とその流れの中での「ラーニング・コモンズ」の推進を中心に紹介してみたい。

① 「オープンエデュケーションと日本の高等教育の今後」 飯吉 透氏(京都大学高等教育研究開発推進センター長/教授)
このセミナーのテーマに沿った基調提案ともいうべき内容で、グローバル化の中で日本の大学がどのようにして生き残るかについての提言であった。とりわけMOOC(Massive Open Online Course)代表されるオープンエデュケーションがもたらす教育システムの転換と可能性について詳しく述べられた。MOOCとは大規模な公開オンライン講座のことで、今や世界中で急速に拡大しつつある。これによって、誰でもが無料もしくは安価で、選んだ授業(教育コンテンツ)を自宅で受講できるようになる。

大学教員は組織を離れ個人としての発信者となることができ、民間企業の参入やアマチュア教師の出現も可能になる。さらには、世界中の学生同士で学び合い教え合う環境もつくられようとしている。ネット社会がもたらす社会の変容によって、知の独占とそれによる大学の権威は大きく失墜し、教える者と学ぶ者とのよりフラットな関係が拡がりつつある。

つまり、「物理的空間としての大学」という概念や単独の「運営組織・経営体としての大学」の在り方、「大学教員」という役割や「学生」の立場、「高等教育=学位」という固定観念、「社会」vs「大学」という対立軸など、高等教育についての構造的な見直しが必要とされる。

「現代社会において、個々の人が、知識・技能・職業的基盤を確保するために、10歳代後半から20歳代前半までの4年間を『壁に囲まれた』大学で過ごせば『高等教育は修了』というモデルは、機能しなくなりつつある。」(飯吉氏)

オープンエデュケーションなどの新しい世界的潮流の中、かたくなに教育鎖国状態を続け、その場しのぎの生き残り対策に終始している日本の高等教育の危機的な現状を踏まえ、飯吉氏は「黒船」(グローバル化・オープン化)を積極的に受け入れ、世界規準のビジョンを構築しながら、高等教育の抜本的な改革を推進し、教育支援体制の整備など制度上の向上を図ることが未来の大学と日本社会をつくることにつながると主張する。

私にとっても、ネットを介して論文を読んだり「東京大学学術俯瞰講座」などの講義・講演・対談のビデオを視聴したりすることは日常的である。しかし、世界各国100以上の大学・機関が参加し、数千もの講義教材を公開するJOCWやアメリカの19州の協力によって創設されたオンライン公立大学であるWestern Governors Universityの存在など、これほどまでに広汎にしかも多様なオープンエデュケーションが展開されているとは知らなかった。

今日個人が純粋に学ぼうとすれば、学校教育に頼らずいくらでも学ぶことができる条件や環境が整っている。その中で、学校教育の果たすべき新たな役割が問われてきた。やはり高等教育でも、高等教育であればこそ、これらのことが大学の在り方の根底を揺るがす激震として受け止められているのだろう。


② 「大学教育のオープン化の中でリアルな学習環境の意義を考える」-千葉大学「アカデミック・リンク」の試みをふまえて- 竹内 比呂也 氏(千葉大学副学長、附属図書館長、アカデミック・リンク・センター長)
アカデミック・リンク・センター長である竹内氏は、千葉大学の教育改革のトップリーダーである。千葉大学における「アカデミック・リンク」とは、生涯学び続ける基礎的な能力と知識活用能力をもつ学生の育成を目指して「コンテンツ」・「学習空間」・「人的支援」の3要素の統合・連携による学習及び教育の革新を図る試みである。

その「コンテンツ」とは、一般的な著作物・その著作物を再パッケージ化した教材・授業録画・著作物の一部を利用し教員が独自に作成した教材・完全にオリジナル作成された教材などで、学生が利用したいときに迅速に提供されるものである。

この「学習空間」の第1の特徴は開放性・透明性である。したがって何が話され何が討議されているかが目に見え(見られ)、参加が促される仕掛けになっている。2点目はフレキシブルな空間構成である。机・椅子・ホワイトボードなどを自在に配置でき、利用の自由度が高いことである。3点目は空間の機能分化である。静寂空間(個別学習)と討論空間(グループ学習)との分離である。その他、様々な教育的配慮がされている。

感心するのは学内教職員が講師をつとめる「1210あかりんアワー」の実践である。「教員が研究の楽しさを語る」「千葉大の意外な一面を知る」「働く大人が学生に勧める一冊の本」などをテーマにして昼休み30分間を使ってのショートセミナーを2年間で168回もされている。これによって、学部を越えた学生間の活発な交流の場にもなっていることは大きな成果だと思われる。

「人的支援」は、試行錯誤の段階としながらも、学生・図書館員・教員の混成による施策を打ち出されている。最終的には教員でも職員でもない、大学の新たな職種として「学習支援専門職」を設けることが必要だと述べる。

竹内氏の構想とその実践は、学習環境としての図書館の在り方と運営を主軸に展開されていることが特徴である。複数の学生が集まって、電子情報も含めた様々なコンテンツを用いて議論を進めていく学習スタイル(ラーニング・コモンズ)を可能にする拠点として、真っ先に考えられるのは大学図書館に違いない。

③ 「ラーニング・コモンズでの新しい学び」  山田 礼子 氏(同志社大学教育支援副機構長、学習支援・教育開発センター長、社会学部教授)
アクティブ・ラーニング(学生の能動的な学習)を進めその成果を生み出すためには、授業外の質の高い学習時間の確保と学生の主体的で協同的な学びを促進する仕掛けが必要になる。これが「知的欲望開発空間」としての同志社大学「ラーニング・コモンズ」である。

壮大な新校舎である「良心館」に、交流と相互啓発の場である「クリエイティブ・コモンズ」(2F)と、アカデミックスキルの育成の場である「リサーチ・コモンズ」(3F)がつくられている。ラーニング・コモンズとしては日本最大級のスケールである。単に施設の規模に目を奪われるだけではない。ラーニング・コモンズを支える人的配置も組織的に編成されている。

アカデミック・インストラクターとして教員が3名、学習支援コーディネーターとして職員が1名、ラーニング・アシスタントとして大学院生が14名、情報探索アシスタントとして図書館から1名、留学コーディネーターを国際センターから1名、留学アシスタントを国際センターから数名、ITCサポートスタッフをITCサポートオフィスから数名、プリントステーション・スタッフを業務委託2名から構成されている。

まさに至れり尽くせり。大学としての力を入れようがうかがえる。利用頻度やそれによる学びの変化など、継続的にデータ化し検証し、改善を図ろうとされていることもすばらしい。

④ 「同志社大学ラーニング・コモンズがもたらした新しい学び」 竹永 啓悟 氏(同志社大学大学院社会学研究科博士前期課程1回生)
利用者の立場とラーニング・アシスタントの立場から、同志社大学におけるラーニング・コモンズの取組、その成果と課題についての現時点でのまとめである。

ラーニング・コモンズが必要とされる背景は2点。1つには中等教育の受動的・座学中心の学びから大学生の学びの移行であり、2つ目は新たな学生の居場所(授業空き時間の有効活用の場)づくりにあるとする。多くの利用事例の紹介があったが、印象に残ったのはプロジェクターに自らの卒論の原稿を投影し、ゼミ仲間に添削や確認をしてもらいながら卒論を執筆する試みである。

⑤ 「京都大学事業や学生主催イベントを通じた学びについて」 中田 真規 氏(京都大学法学部4回生)
中田氏の報告内容は全体の流れとはやや趣の異なるものであった。広く言えば大学のオープン化につながるものであるが、主として学生の国際的な交流を含めた自主的な課外活動の紹介である。中田氏の物事に対する積極的やバイタリティあふれる姿勢には感心させられた。







ミニ講演と全体会の間の休憩時間を利用して、京都大学附属図書館ラーニング・コモンズの見学会が催された。

■ もともと、キャンパスの芝生などで自然発生的に起こっていた「話し合い」が情報機器の活用の導入とともに施設として組織的につくられたものが「ラーニング・コモンズ」と考えていいだろう。その原点に返れば、仕掛けとして多様なラーニング・コモンズが学内に点在することが必要になる。さらに、あまり過保護・過干渉に陥ることなく、可能な限り学生の自主的・主体的な学習拠点として位置づけることが望ましいのではないだろうか。

■ ラーニング・コモンズによって学習の成果を上げようと思えば、授業者が授業そのものの質的向上(FDの守備範囲)を図るとともに、積極的にこの利用を促進するように学生に働きかけをすることが大切になる。ところが、ラーニング・コモンズの設定趣旨が学内で周知徹底されにくい現状について、それぞれの話題提供者からため息のようなものを感じられた。

■ ミニ講演や全体会の中で「アクティブラーニングを進める上で障害になるのは中等教育と高等教育の断絶であり、この断絶を埋めアクティブラーニングなど大学でのまなびのスタイルを身に付けるために初年次教育が重要である。」と述べられていた。一般にこのような嘆きは、どの校種ももちがちである。中学校は小学校に、高等学校は中学校に対してである。受動的で座学中心の傾向(あくまで傾向である)は何も中等教育に限らない。残念なことであるが今日においても,校種をこえて日本の教育全体の大きな課題である。

京都賞シンポジウム②

思想・倫理分野は「地球の詩学-風土学的考察」というテーマで仏国のオーギュスタン・ベルク氏の講演で始まった。日本語による講演なので、同時通訳を聴くためのレシーバーを外すことができた。そういえば日文研も含めて17年以上、日本におられたのである。

氏は西洋(主語の論理)と東洋(特に日本の述語の論理)のそれぞれ思考法のよさや限界を踏まえながら、その高次の統合によって人間も含む生物と自然の新しい関係を追究されている。そして、氏の日本研究の原点であるとされる和辻哲郎の「風土」を援用しながら「通態」という独自の概念によって、自然と文化の二項対立を基調とする近代のパラダイムを超えようとする。

「通態」とは気候の在り方・自然の特性・地理的条件などと歴史的・社会的・文化的文脈との相互関係性の中で、そのつど可逆的往来によって生成される生きられた場といえようか。これまでに読んだ氏の著書は「日本の風景・西洋の景観」(講談社現代新書1990)。ちょうど樋口忠彦氏の「日本の景観-ふるさとの原型」(ちくま学芸文庫1993)の関連図書として読んでいたようである。

2人目は、木村敏氏。これまでに読んだ氏の著書は「時間と自己」(中公新書1982)だけだが、哲学書など様々な書籍で引用されている文章を目にしてきた。今回のテーマは「統合失調症における自己の障碍」。統合失調症は以前には「精神分裂症」を呼ばれていた。

この統合失調症を、木村氏は自己の個別的自己の成立にかかわる問題としてとらえている。通常、人は統一的で連続的なものとして自己をとらえている。その自明性が失われ自己の存在そのものの危機がこの病の根底にあり、患者が示す様々な症状とはその危機的な事態に対する能動的な応答とする。見方を変えれば、この病は自己の存在の不確実性や無根拠性、仮構性への心の奥底での気づきによる日常性からの「転落」であり、「覚醒」である。

「西欧社会における個の主体性の優勢が「主語」という文法形式を生んだ。それに伴って「能動態」と「受動態」の両様態が確立したと考えられる。(中略)これに対して日本語は主語が不在で中動態が汎用されている。何かの事態が生起したとき、(中略)それを引き起こす動作主は、その事態の主語としてではなく、事態の場所として表示される。」(配付されたレジュメ引用)

もと地理学者であったオーギュスタン・ベルク氏と精神医学の木村敏氏。驚くべきことに追究されている主題は互いに重なり合っている。

3人目は、シンガポール国立大学のアラステア・キャンベル氏。テーマは「医学と科学の核心にあるものとしての倫理」。

ノルバティス社の降圧剤データ操作問題に代表される実験データのねつ造や臓器売買などの不正が世界的に横行している。その現状(市場原理や競争原理、特権的な一部の人々の金儲け主義)を氏は告発する。つまり科学の論理であり価値観は本来人類への貢献であるが、それが、今や経済成長と収益性が優先され医学を含む科学全般において重大な危機的状況にあるとする。

人々の命を守り健康を維持増進させることを第一とする倫理観・価値観の再確立による正義の達成を氏は強く訴える。しかし、ことが構造的であり、世界的潮流であるが故に困難な道に違いない。

京都賞シンポジウム①

7月12日(土)は京都大学と稲盛財団の合同京都賞シンポジウム「人類の叡智の最前線~生命科学、思想・倫理、情報科学の共振~」参加した。京都賞が今年で30年を迎える。それを記念して合同のシンポジウムが京都大学百周年時計記念館で開かれた。会期は13日(日)と合わせ2日間である。私の都合により、残念ながら1日のみの参加となった。

京大時計台

初日は各分野のフロンティアを代表する研究者9人の講演である。

生命科学分野では、まず生物を個体としてかたちづくるための重要な細胞接着研究の創始者である竹市雅俊氏から、細胞からそれぞれの組織が形成される仕組みについて電子顕微鏡写真・略図・アニメーションなどを駆使して研究成果の説明を受けた。極めて精緻なメカニズムによって生体が成り立っていることを改めて考えさせられた。

2人目は、米国のロナルド・エヴァンス氏。講演は「自らの肥満を解消したいと思っている方は挙手を!」から始まった。今日の世界的流行病とされる肥満(肥満はすでに病気である)・糖尿病・心血管疾患患者の増大をどうとらえ、どう解消するか。摂食することの重要性はもちろんのこと、運動不足をどのようにして補うのか。博士は、筋肉での糖や脂肪の燃焼が促進されるような遺伝子発現プログラムが動き出し、実際に運動したと同じような効果のあるエクササイズピル(運動模倣薬)を開発された。運動能力増強剤として違法に使用される恐れはあるが、運動しようとしてもできない車椅子生活者や身体虚弱者、病的な肥満者には朗報である。

3人目は、米国のロバート・ワインバーグ氏。癌研究についての世界的権威である博士の今回の講演内容は癌研究の中でもとりわけ癌の転移についての研究報告である。癌細胞の中でも「癌幹細胞」と言われる悪性度の高い癌細胞が転移を誘発するとし、その癌幹細胞のどのように消滅させるかについて熱弁を振るわれた。
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プロフィール

ryoichi25r

Author:ryoichi25r

細谷 僚一 hosotani ryoichi
■ 大阪府箕面市生まれ(1948)
■ 京都教育大学教育専攻科美術工芸修了
■ 京都市立中学校教諭(美術科)16年
■ 京都市教育委員会学校指導課指導主事7年
■ 京都市立中学校教頭2年
■ 京都市教育委員会教職員課 人事主事5年
■ 京都市中学校校長5年(定年退職)
□ 大谷大学 教職支援センター教職アドバイザー4年(終)・非常勤講師3年(終)
□ 立命館大学 非常勤講師5年
□ 京都嵯峨芸術大学 教授3年
□ 京都女子大学 非常勤講師1年


履歴が示すように、専門は学校教育と美術科教育です。もともと好奇心旺盛なたちなので、様々なことに関心があります。学校教育にしても美術科教育にしても他のジャンルとのかかわりや歴史的観点から俯瞰的にみていくつもりです。

「美術科教育の未来」
2050年あたりに照準(大風呂敷)をあて、改善の姿を描こうと思っています。

「私の本棚」
読んだ本のまとめや感想をできるだけコンパクトにして整理したいと考えています。最も工夫したいことはそれぞれの本の関連づけです。

「気づ記・思いつ記」
日々の生活の中で気づいたことや思いついたことなどを日記のように表したいと思っています。


 

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